高校時代

過去の記憶

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高校について振り返ろうと思う。

僕は、甲子園の常連校である県立岐阜商業の推薦を断って、私立の偏差値50そこそこの進学高校に通うことになる。

自転車で片道1時間20分くらい自宅からかかる高校だった。

この高校の時代が僕にとって人生最大の暗黒時代だったといえる。

とてつもなく勉強ができなかった事がとにかく苦しかった。

高校1年の担任は、その年から赴任された気合いがバチバチに入った20代の男性だった。

前髪がロールケーキのようにクルンと巻いてることから陰で『ロール』と生徒から呼ばれていた。

ロールは、自分のクラスの成績を上げることに熱を入れていたこともあり、毎朝小テストを出してきた。

小テストの結果は順位付けされて、教室の一番後ろの壁に貼り出されるのだ。

勉強ができない僕にとってロールが張り出す順位表の紙が地獄のように恥ずかしくクラス33人いる中のだいたい30位か31位だった。

中学の頃に塾に通い人の3倍勉強して、ようやく人並みレベルをキープできた僕は、高校に入り塾に通わなかったことでクラスの成績はずっと下位だった。

僕は授業中に先生にあてられても答えることができず、トンチンカンな回答を連発してクラスの笑い者だった。

そのうち担任の先生から僕は『名前』ではなく『アホ』と呼ばれるようになった。

(今の時代だったら確実に問題になる笑)

アホと呼ばれて辛かったけど、そこで空気が悪くなるリアクションをすると余計にクラスで浮くと思ってた僕はずっとピエロを演じてた。

いつも授業中は先生に怒られヘラヘラして、みんなから笑われてた。

親からは高いお金を払って私立に通わせてるのに成績が悪いことを常に怒られ続けていた。

自分でも頑張って勉強しているつもりなのだが、全く頭に入ってこないのだ。

僕の頭はまるで穴の空いたバケツだった。

バケツの中に勉強という名の水を入れるがバケツの底に大きな穴が空いているのでどれだけ勉強しても、底から水が溢れて翌朝には空になっているのだ。

なんで僕はこんなポンコツに生まれたんだろ。

特別、頭が良くなくてもいいから、せめて普通の知能レベルで生まれたかった。

高校の頃の僕はずっとそう思い自分の事が大っ嫌いだった。

中学の頃は高校生になったら、可愛い彼女でもできてドラマのような楽しい青春生活を送れると思っていた。

しかし僕が過ごした高校3年間、一度も楽しいと感じることはなかった。

勉強はできなかったし、彼女もできなかったし、親友とも呼べる仲間は一人もいなかった。

>>続く

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