僕の中学の記憶

過去の記憶

中学時代について振り返ってみようと思う。

僕は中学3年間は卓球部に所属し、県大会3位まで上り詰めた。

これは中学3年間で一番の僕の自慢エピソードだ。

しかし中学1年の頃の僕は部活はやりたいとはまったく思っていなかった。

部活を頑張ったところで人生何の役に立つのか分からなかったからだ。

この記事を書いてる現在は幸せに満ち足りた生活を送っているが、当時は部活に限らず何をするにも虚無感ばかりだった。

人生誰でも義務教育に疑問を感じる時期ってあると思うのだが、僕の場合はその期間がだいぶ長かった。

うちのお母さんは部活に入ることが絶対という思想の持ち主だったので、僕は部活に入らざるを得なかった。

中学は何かと部活の仲間でつるむ事が多くなるので帰宅部になると友達のいない寂しい学校生活を送るようになるというのが主な理由だった。

小学校の頃の僕は野球部に所属していた。

4年生から野球をはじめた僕は1年生や2年生から野球を始めていた同級生とは差がつきすぎていた事もあり、レギュラーになれず、ずっとベンチを温めていた。

小学校最後の公式戦は即効で相手チームに負けて、レギュラーのみんなは悔しくてオイオイ泣いていたが僕には悔しさなんてちっともなかった。

ベンチを温めていたメンバー5人、通称ベンチャーズ(当時の呼び名)は誰一人として泣いてなかったと記憶している。

小学校の頃はレギュラーになれない苦しさとつまらなさを嫌というほど経験していた事もあり、中学になり野球部に入るという選択肢は1ミリもなかった。

悩みながらも僕は卓球部に所属する事を決めた。

卓球部に決めた理由は3つある。

  • 集団行動が苦手で能力を発揮できないことを認識したから
  • みんな一斉にヨーイドンで始められる競技の方がレギュラーになれる可能性が高い
  • 当時、卓球部に入っている先輩方は頭がいい人ばかりで卓球を頑張る子は集中力がつき学力も伸びると言われたから

小学校の頃の苦い経験は2度とごめんなので、そこそこ僕なりに悩み抜いて出した答えだった。

卓球部に入り1年生の初期の頃は、玉拾いやランニングがメインだった。

卓球台を使った練習ができる時も、同級生と1つの台を複数人でクロスで撃ち合う練習しかさせてもらえない。

卓球部だった人にはリアルにイメージできると思うが、クロスで打ち合う練習は初心者の頃には難しすぎてすぐにミスをしてしまう。

うまくラリーが続いても1台に2つの球が飛び交う事になるので、たまにボールとボールがパコーン!とぶつかりラリーが中断するなど、自由に出来ないもどかしさと常に戦っていた。

夏になり3年生の先輩が辞めて、卓球台を自分一人で打つ事が認められた時は嬉しくて嬉しくてしょうがなかった。

野球部だった頃とは違いみんな横一線でのスタート。

同級生、誰にも負けたくない気持ちが強かった。

>>続く

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