僕の中学の記憶3

過去の記憶

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不器用でスマッシュしか打てない僕だったがそれなりに優秀な成績を収めた。

そして、甲子園野球の常連校である県立岐阜商業からスポーツ推薦をもらう事が出来た。

中学から始めたのに自分としても頑張った方だと思う。

部活のコーチは僕の卓球センスを買ってくれていたので、県立岐阜商業に進んでほしかったみたいだ。

しかし僕はスポーツ推薦の誘いを断ることになる。

僕の頭の中には、部活を頑張ったところで人生の何の役に立つのか分からないし、卓球なんて所詮学生生活の暇つぶしにすぎない、という冷めた感情があったのだ。

僕の進路選択にコーチはすごいがガッカリしていたようだ。

年齢を重ねた今になり振り返ると、県立岐阜商業に行かない選択がよかったのか悪かったのかは分からない。

しかし苦しみながらも中学で卓球を頑張った経験は今でも僕の中で財産となっている。

僕が整体師という職業に就くことになったのも卓球での成功体験があったからに他ならない。

中学・高校と卒業し、整体師になるまでの僕はいろんなアルバイトを経験したが、不器用で何をやってもミスを連発し、店長から怒られ続ける地獄のような日々を送っていた。

もし中学の部活の経験がなければ、自分の適性がわからず、30を過ぎてもアルバイトで店長から怒られる日々を過ごしていたに違いない。

そう思ったらゾッとするし、帰宅部になるのを許さなかった母親には今でも非常に感謝している。

タイムスリップして中学の頃の自分に合うことが出来るなら、人生に意味のない事なんてないんだよ!そうアドバイスを送るだろう。

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