医学部受験

過去の記憶

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大学1年生の秋だった。

昔からお世話になってる霊媒師の人から電話がかかってきた。

(うちの家系は霊感のある家系)

霊媒師さんは、父親に用があり電話をしてきたみたいだったが、僕がたまたま電話に出たので少しばかり話をした。

その時、霊媒師さんから

『医学部に行け。君なら医者になれる。メスを持たない医者になれる』

そう告げられた。

目標も何もなく、ただただ劣等感の塊だった僕はその言葉に胸が躍った。

今まで成績が落ちこぼれで周りの友達から馬鹿にされ続けてきたが、医学部に入り医者になれたら人生大逆転、周りの友達を見返せると心躍った。

母親からは

『いくらなんでもあんたにそれは無理だ』

『何かの聞き間違いだ』

と言われたが僕は母親の言葉は耳に入らなかった。

僕は大学を休学する事にした。

名古屋駅にある本屋に行き参考書を揃え、受験勉強をスタートさせる。

英語や国語、歴史の勉強は高校時代にやったのでそこそこストレスなく勉強を始められた。

しかし医学部に行くためには数学と化学をマスターしなくてはならない。

これが悩みの種だった。

全国模試で国語の偏差値35の僕は、一人で参考書を読み解き理解を深めていくことが全く出来なかった。

参考書を読んでもちっとも理解ができず、先に進まない事でイライラが募っていった。

その度に、イライラをおさめるためにタバコを吸いに行く。

日に日にタバコ休憩の時間が増え、机に向かう時間が減っていった。

そしてわずか1ヶ月後。

僕は医学部受験の夢を挫折した。

あまりにも早い幕引きだった。

甘い言葉にそそのかされて、なんで僕は大学を休学したのだと自分を恥じた。

医者になるという夢が砕け散った僕は自己嫌悪に陥りながらも、ベットで仰向けに寝転がり、将来について考え続けた。

(この先僕はどうすればいいんだ・・・)

しかし将来に対する明確な答えは出なかった。

ある時、人気芸人・千原ジュニアの『14歳』という自叙伝を読んだ。

家に引き篭もり、自分が何者なのか、なにが正解でどこを目指すべきなのか砂嵐の中をさ迷うがごとくもがき続けた日々が綴られている実話である。

千原ジュニアと自分を重ね、いつかビックになるんだと心を奮い立たせた。

結局、僕は半年ほど引きこもったが、将来に対する道筋を見つける事ができず、どんどん自己嫌悪が募った結果、軽い鬱状態になってしまう。

バスや電車に乗るのも震えるくらい人前に出るのが怖かった。

このままじゃヤバい。このままじゃヤバい。このままじゃヤバい。このままじゃヤバい。このままじゃヤバい。このままじゃヤバい。このままじゃヤバい。このままじゃヤバい。このままじゃヤバい。このままじゃヤバい。

ゴールの見えない迷路に迷い込んでひたすらもがき苦しんだ。

今でこそ僕は現在は整体師として多い時には1日13人の施術をこなす。

体力すごくないですか?と皆からh言われるが、そんなの僕にとったらどうと言うこともない。

なぜなら、やりたい事や目標がなく、ゴールの見えない迷路を歩いてる方が1000倍苦しいというのを嫌というほど10代の頃、味わったからだ。

>>続く

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